ボトル

good night mare

傍島

 

 すごく久しぶりに役所へ来た。

 

毎日の残業(ただのアルバイトにもかかわらず!)と主婦パートさん達の性悪な歓談に耐えきれず、先日社保をあきらめたのだ。

 その手続きの為、住み慣れた町の役所に来ている。

 

 私は小学四年生の時に引っ越しをして、学校が変わったのだが、それより前はよく来ていた。

 昔は図書館しかなかった場所が、今は役所などが合体した大きな施設となっている。

大きな窓からは、私がもし転校しなければ行っていたであろう中学校のグラウンドが見える。

 

 私の進学した中学校にほど近いところだが、校風はさして変わらなかったと思う。多少やんちゃだったのかもしれないし、進学した学校よりはやりやすかったのかもしれない、そうではなかったのかも。

 

 などと考えながらグラウンドをじっとみる。

中学校のグラウンドなのだが、いわゆる「第2グラウンド」というような位置付けになっており、使われていないときは一般に解放されているようだ。昨今の公園事情を鑑みると、ひろいし、球技もできるし、騒いでも怒られはしないので、なかなかのものだ。

 

 昔、好きだった男の子のことを思い出した。

小学4年生の時だった。たぶん、たぶん恋だったとは思う。おぼろげだが、覚えている。

 

 名前は、そばじまくんといった。

漢字なら、「傍島」と書く。私はまず、名前を好きになった。

 

 そばじまくんと同じクラスになったのは、3年生だったか4年生だったか。はっきりと覚えていない。

 彼は野球少年で、地域の野球チームに所属していた。どこのポジションを守っていたかは知らないけど、それでいて体育の時間別にイキってこないところが好きだった。

 

 手足は長く、ガリガリで、鼻が高くて目が細かった。小学生の頃って、なんであんなにドッヂボールが好きなんだろう。

 私はボール遊びにはけして明るくないのだが、彼は女の子に当てるときだけはボールが優しかったので、私でも受けることができた。

 

ドッヂボールの内野から外野(言葉があっているのかは知らない)にボールをパスすることを「フライ」と呼んでいたが、私は気に入らなかった。

 

 小学四年生の時、初代ニンテンドーDSが発売された。

ほしくてたまらなかった私は、クラス全員にアンケートを取り、約半数以上が親にDSを買ってもらっているという結果を親に示したのだが、買ってもらえなかった。

 その中で、そばじまくんもDSを持っていなかったことにちょっとドキッとしたのを覚えている。 男の子はみんなゲームを持っていると思っていたのもあるのだけれど。

 

 転校してから何度かグラウンドの近くの図書館へ行ったのだが、遠くなったので回数が減った。

 確か一番最後だったと思う、図書館から借りた本を返して施設から出てきた夕方、グラウンドに子供がいた。

 野球チームの子達が自主練でキャッチボールをしていた。

 

 ひょろっと長い男の子がいた。目があったが、声はお互いかけなかった。

 

 あの時声をちゃんとかけていればなあ、みたいな小さな後悔が今の過ごし方に影響している。

少なからず。

ハンバーグ

 今更こんな話をして申し訳ないが、ハンバーグはご飯に合わない。

 

デミグラスソースもケチャップもご飯とは合う。というか、ご飯に合わせた味に仕上げることができると思う。

 

 が、ハンバーグそのものはご飯に合わない。

 

 私は昔から唐揚げはご飯に合わないと主張してきた。それは単に唐揚げが美味しすぎて唐揚げばかり食べてしまい、肝心の米が減らないという、いわば「おかずにならない」という意味での主張だった。

が、ハンバーグは違う。 

昔からよくあるが、和風ソースのハンバーグでさえご飯には合わない。ソースがご飯に合うだけで、ハンバーグそのものはご飯とマッチしないのだ。

 

なぜか。

つなぎにパン粉を使っているから。

 

 パン粉の匂いを嗅ぎながら米を食っていると自覚すると訳が分からなくなる。なんにもわからん。完全になにを言いたかったのかも忘れたし酒飲んで寝よ。

 

はあ〜〜〜〜〜〜しね

真夏の北極

 

 先ほどすいかグミというお菓子を買った。コンビニなどで売っている小さくてカラフルなパウチ。一口サイズのお菓子は好きだがグミは正直ハズレも多いので普段はドライフルーツやチョコを買う。グミならだいたいグレープ味しか買わない。

 

 ではなぜすいかグミを買ったのか。私もただの気まぐれだと思っていた。レジでお金を払うまでは。

 

 さて開けるぞと目の前に掲げ、「どうぞここからおあけください」と言わんばかりの切り目に手を添えた。

 

 ふとパッケージのデザインが目に入る。

大きなすいかを真ん中に、「夏を感じるミニチュアすいか」と横書きで書かれている。背景に浮かぶ色とりどりの水玉模様はラムネサイダーやかき氷のシロップ、花火など夏の風物詩を連想させる色味だ。

 

 そして、いた。シロクマだ。

 

 どうやら私は、このシロクマに惹かれてこのお菓子を買ったみたいだ。それも無意識のうちに。それに気づいたときはうっかり声が出そうになった。

涼しげな表情で自分より5倍ほど大きいすいかにしがみつくシロクマ。

なんてキュート!

 

ところで、ふと思った。 

白いくまが夏を満喫する、という状況が、自分の中で「夏らしい」風景として定着したのはいつからだろう。

 

 モチーフにされているシロクマはおそらく、北極で王として君臨しているあのクマだ。たぶん体はあたたかな毛で覆われているし、寒い地域でアザラシかなんかを殴って暮らしているイメージがある。もともとのホッキョクグマからすれば、日本のむし暑い夏には全く無縁の存在と言えるだろう。

 しかしシロクマは私の頭の中では夏になればバカンスを楽しんでいる。

(このバカンスを楽しんでいる想像上のシロクマのことを「夏シロクマ」と呼ぶことにする)

 

そう、暑い砂浜で、パラソルの下で寝転がり、パイナップルの刺さったジュースを飲みながら、サングラスと......ピンクの海パン......

 

 ここまで自分の思考を突き詰めていくと、頭の中の夏シロクマの正体がわかってきた

 

 

アイスクライマーのシロクマだ。

 

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 しかしアイスクライマーといえばスマブラXで1回使った程度で、原作ゲーム自体は一度もやったことがない。

なのでこれ以上は考えるのをやめにした。

 

 

 ところで私は「クマ」がかなり好きである。最近妹に指摘されて気付いた。

 

アジアの純真」という曲がある。PUFFYの楽曲で、これも暑くじっとりとまとわりつくような真夏の夜を想像させる曲だ。歌詞の大半の意味はわからないが、私の好きなパートがある。

 

"白のパンダを どれでも全部並べて

ピュアなハートが

夜空に弾け飛びそうに

輝いている 火花のように"

 

興味があれば聞いて欲しい。夏とシロクマの感覚が歌われている。

 

 そして夏のシロクマといえばカップアイスだ。シロクマと呼んだアイスは、小さい頃たまに食べた。それゆえ、バニラのアイスクリームだったかかき氷だったかさえもあやふやだが、とにかくそれらの上にキラキラのったイチゴやみかんが幼心をグッと惹きつけた。ハーゲンダッツよりも早く知ったご褒美だ。

 

 クマ型の動物というくくりに当てはまるならなかでもパンダが1番好きなのだが、そのシルエットそのものがどうやら気に入っているらしい。クマが描いてあると手にとってしまうほどに。

 

 私には大切にしているテディベアがいる。オーソドックスな茶色いクマのぬいぐるみで、首に巻いている赤いリボンはくちゃくちゃになってしまった。名前は「ジンジャー」という。「ジャーくん」と呼んでいる。なぜ「ジンくん」ではないのか、幼少の頃の自分のセンスはわからないものだ。

一人暮らしの家にも持っていったし、大阪に帰ってからも部屋に飾ってある。

 

 あれは私が生まれた記念にと贈られたものらしいが、それを知ったのは確か8歳ごろのことだ。

正確にいえば、「理解した」。贈られたものを大切にするということを理解したので、その時に名前をつけた。それより前のジャーくんの扱いを私はまったく覚えていない。

 

 「大切なものに対して大切と思う」ということをあの時点で完全に理解したのはなかなかかしこかった。あのイベントがなければクマのスチルは絶対に手に入らなかった。

 

 夏シロクマもジャーくんもいつでも肯定的な印象をくれる。

日本のたまらぬ夏をぎゅっと握りしめて、北極の流氷でかき氷をつくる。 空の青さでブルーハワイシロップを選ぶだろう。海パンもいい。アロハシャツも似合うだろう。

 

あと、すいかのグミはハズレでした。

 

 

 

 

人よりちょっとだけダサい服

 

 数人で集まると、なぜか自分の服だけやたら安っぽくダサく見えるような気がして少しだけ落ち込む。

 気に入って買ってるはずなのに、自分のセンスが信じられない瞬間だ。隣の芝生はやはり青い。

 

 ちょっといいなと思っていた人がプライベートでバンドをやっていた。男を見る目がなさすぎる。

 

 本当の優しさについて考えることが多くなった。私はそんじょそこらの人間よりはやさしいほうだとおもっているのだが、バイト先のパートさんはもっとやさしいのですごい。

 

 最近横切る猫たちが全部黒い。

 

 欲しかった茶系のリップを購入したら、落とすのにたいへんな苦労をした。でも落ちにくいし、色も値段も大満足だ。

 

 朝ごはんを食べるようになったら、朝起きる苦痛が少し減った気がする。

なんとか無理やりうんうん起きて、化粧もせずにワンピースを着て飛び出す生活も1週間で終わった。今は温かい紅茶を淹れる余裕まである。素晴らしいことだ。

 

 君のからだがカーテンみたいに揺れていた。そういう夢をみた。

 

 D面まであるレコードを知った。たしかくるりだったか。

 

 パスワードを入力してください、私はロボットではありません。という言葉に涙が出そうになる。そうか、パスワードを入力するということは、ロボットではダメですよという意味なんだ、と毎回ゆっくり解釈してあんしんする。

 

 コールドブリュー用のコーヒーの豆を買っても良いか、おばあちゃんに相談した。おばあちゃんは胃が荒れがちだから、あまりコーヒーはのまない。アイスコーヒーはなおさらだけど、若い私はその魅力的な言葉に負けそうだ。

 

 誰しも自分の心にパスワードを設けている、それを入力するのは人でなければならないみだいだ。

 

 おにぎりをにぎるのは少し面倒だが、愛のスパイスという言葉のミステリーは全てここに詰まっている気がするのだ。

 

 ひとにやさしくした後は、ちゃんと自分にあまくしたい。

 

 ジーパンを買ったらサイズが合わなくて、仕方がないのでバイト用にしたらお客さんに褒められた。何が褒められるかわかったのもではないな。

 

 

 

 

 

 

 

黒くてツヤツヤしている

 

 おととい、キャビアというものを初めて食べた。

 

 午前中はプール施設のバイト。夜は焼き鳥屋で馬車馬のように働く予定であったが、店長が腰痛のためにお休みの連絡。

 

 そこへちょうどよく友人の急な誘い。その1時間後には梅田に到着。

 

 そこで頼んだエビのおすしにちょこんと乗っていた。1カン200円だった。

 

 お行儀のことを気にせずに、エビの上に乗ってるキャビアだけをつまんで食べた。

 

インパクトのないいくらみたいやな」

と言い合った。エビと食べるとエビだけの味がした。

 

 大阪第三ビルの地下に入っているその居酒屋は安くておいしい。23歳になりたての女が大阪第三ビルの居酒屋へ入るのは、ちょっとイキリっぽくて気恥ずかしい。でも美味しくて安くて、友達が喜んでくれるのでかまわない。

 

 さきほどなんとなく「キャビア 味」で検索したら、「魚卵の中ではねっとりしていて、濃厚でコクのある味」と書いてあった。

 ぜんぜんそんなことない。むしろ軽くて物足りない味だった。私が食べたのは本当にキャビアだったんだろうか?シメサバの方が好きだ。

 

 それと、うにくをたのんだ。

黒毛和牛のあぶりにバフンウニが乗っているおすし。本当かどうかはわからないけど美味しかった。自分だけ食べた。

 

 ウニは昔嫌いだったけれど、急に食べられるようになった。黒毛和牛も他の牛肉との差がわからないけれども、魅力的な四字熟語だ。ただ、贅沢がしたくて食べている。美味しいかどうかは気分の問題だ。

 

 食用の小さな花がちらちらとかけられていて可愛らしかった。

 

 その翌日、祖母がタバコを吸ったせいで病院から追い出されたので退院祝いと称してみんなでスシローに行った。

 

やっぱり寿司はめちゃくちゃうまいな。

 

 

 

 

個人情報ですので。

 

子どものおもしろを書いてバズるの、なんかめっちゃずるいよな、とか思う。

 

 先日より、市民プールでアルバイトを始めた。スイミングコーチのアルバイトに応募したはずだったのだが、スケジュールが合わず、今はすこし時給の安いフロント業務の研修をこなしている。

 トレーニングジムとスタジオ、そしてプールが併設されたこの施設は、驚くほどゆっくりと時間が流れる。夜の焼き鳥屋のバイトとは打って変わって、静かで落ち着いていて、応用のほとんどない仕事だ。くるのも老人か子どもばかり。元気な人はいても、うるさい人はほとんどいない。

 でもこのギャップがいいのだと思う。

 

 しかし来月からスイミングコーチの業務が始まる。未就学児〜中学生くらいの人々に水中でのあれこれを教えてやるのだと思うのだが、ほぼ運動らしいこともしてこなかった私にとって大変不安なことだ。少なくとも泳げるはずだが、最後に水に潜ったのは高校3年生の体育の授業だし。

 

 母は子ども向けの英語教室のティーチャーをやっているのだが、接している子どもたちの話をきくのがすごく面白い。

 

 やれあの子は宿題をやってこないとか、やれこの子は野菜の単語をずっと覚えられないだとか、他愛のない話なのだが、子どものとる行動というのは実に不確定で予測のできないものなのだそうだ。

 

  だから子どもと接する日々が始まれば、めちゃくちゃツイッターが捗るだろうななどと思っていた。我が子の話を漫画で書いてバズる夫婦や、自分の店に来た客のおもしろエピソードをウィットに富んだツイートでバズらせる人々の内容と、母親の英語教室での子どもとのエピソードは本当によく似ていたから。

 

 だが先日、主任より「SNSにお客様のことを載せたりしないでくださいね、何が個人情報になるのか、今時わからないんで。特に子どもなんて、親御さんが何言ってくるかわかんないんでね、ほんとこれだけは気をつけてください」

 とめちゃくちゃ念を押されてしまった。

 

 スイミングコーチのおもしろエピソードはツイートできない。

 

友人のbio、

 デジタル生まれ現実育ち

が頭をよぎった。

 

 

 

 

 

 

どくだみの花

 

 どうしても捨てられないものって、誰にでもあると思う。

 

 3月に大学を卒業した私は無職のままふらりと実家に帰ってきた。正確には10年ほど前に住んでいた家で、今は祖父母の家となっている。

就職を決めない私に父と母は納得がいっていないようだったが、「大丈夫だから!!!うちの大学は就職しない人も多いし!!!」で全てを封じた。

子供じみた最悪の言い訳だ。

 

 父と母からしてみればそうだろう、なんとか22まで育て上げた娘がまともに自立しようとせず、呑気に焼き鳥屋でバイトを始めたのだから。たまったものではない。

 

 実際のところ、私はさほど焦ってもいなかった。あと2年はこのままたのしくゆっくりやらせていただくつもりである。

 

 私は現在、祖父母の家に居候という形をとっている。3階建ての一軒家の1階、バスルームのすぐ隣の6畳の物置同様の部屋が私にあてがわれた。

 

祖母はアル中で、たびたび夜中に酔っ払ってはすっころぶ。それを毎回2階の部屋まで行って助け起こしに行くのが私の主な日課である。

 

 一人暮らしをしていた一乗寺を離れ、こちらに越してきてしばらくは寝不足の日が続いた。

 けれども文句は言えない。しばらくするとそういった介護生活にも慣れた。

 

 あるひどい寝不足の朝、ぬるくなったコロナビールの瓶を空にしてから窓を開けた。私の部屋の大きな窓を開けると、舗装されていない土のままの細い路地が足元にすぐ見える。

 眼下にはどくだみの花が咲いていた。

 ああ、もうそんな季節かと空を見上げる。むくんだ顔に太陽がつらい。

 

 まどろみながら、私はそこが本当に私の家であったころのことを追憶した。

 

 

 私が10歳になるまで、その部屋は父の部屋だった。平日は会社に勤め、土日はタバコをくゆらせながら安い酒を飲み、パソコンの前で競馬に勤しむ。

 当時はタバコ屋さんが近くにいくつかあり、顔なじみであれば子供でもタバコを売ってくれた。

 

 

「好きな数字、3こ言ってみいや」

 

と、父が言った。

3連単で負けたら、その言い訳に娘をつかおうというのである。

 

「お 当たりや」

 

それから父はたまに私に数字を3つ言わせるようになった。今でもソシャゲのガチャを私にまわしてくれと言いにくるほど、彼の中で幸運のジンクスとなっているようだ。

 

白くて小さなどくだみの花が、路地いっぱいに咲いていた。

 

 突然、路地から可憐な花たちが全て消えた。

 繁殖力の高いどくだみたちは、父の手によって全て刈り取られてしまったのだ。

 

「なんでそんなことするん」

「もったいないやん」

 

と妹たちと抗議した数日後、大量の茶色い液体を手渡された。

 

「お前らがもったいないっちゅうからや」

 

その茶色い液体は、父自らどくだみの葉を乾燥させ、煎じて茶にしたものだった。

 

 野生のどくだみを茶にして娘に飲ませるなよ。

 

 今ならそう思うが、幼い私たちは仕方なくそれを飲んだ。

めちゃくちゃまずかった。

 

 爽健美茶にどくだみが入っていることを知って以来、そのペットボトルを持てなくなった。

 

それ以降、どくだみの花に対し話題に触れることはなく、引っ越して転校した私たちは、あの路地をみることもなくなってしまった。

 

しかし、その家が自分の家であるという概念はなかなか消えなかった。

一人暮らし中に見た実家の夢は、決まってその家の1階だった。

 

そして10年余りがたち、またこの家へ帰ってきた。

 

 住んでいる人間は変わってしまった。

手入れされていない路地にはまた、どくだみの花が異常なほど繁殖している。白くて小さな花をつけている。

 

 

 この家には5月の下旬がよく似合う。